2021/05/16

私の言葉成分

今ここにいる人 = 私 という感覚に納得できない

私は、今 さっき風呂に入って 私の認知論に関して 考えていたのだが、


土日という2日休みがあっても、ビデオを見て, レポートを1問やっただけである

という現実の成果のなさ に焦っている。



これは やばいと思いながらも、起きずに 思いつきの違うことをやり、考え、メモり…

など 明日提出のレポートがある という緊急のことを 放ったらかしにしてしまっている。


逃避やセルフ・ハンデだと思う。


今日のことは 捨てよ。


紙に書いて、後日やることにしよう。


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私は、さっきやっていたことは


「今日は まず、明日提出の 物理をやりましょう。

1と2と3番の問題を解きましょう


と言っていた。


これは 先生に言われているつもりで


計画立て、計画の確認をしているのです。


優先順位を 客観的な指標

大学の課題というところにある やることのアナウンス

を参考にしながら 書くことです。


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私は 極力自分の言葉を喋っていない ことに気がつきました。


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頭に 何個かいて


本当の 私が喋ったことじゃないな

と思う という意味もありますが



主に

誰かが言ったことを 繰り返して言っているのだなと





例えば、宿題をやりましょうとか 早く出ましょうとか



私が 考えたことって何だ


誰かに流されているよ


これに抗いたくて、 いつまでも 課題出さない。



やることは 分かったら 


やるだろう。





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こんなんじゃいかん と言う。


何がいかんのか




ここで 


自分の 将来の地位を 考えてみると



生きて、考え続けるためには



良い環境に 行かねば


そのために しっかり 課題もしなければ


となる。



これを 思い出すと


やっと できる